にんとんくんの手裏剣日記

忍者少年にんとんくんの日記だよー

遠藤周作 『海と毒薬』の感想

にんとんくんだよー

きょうはお天気のいい日曜日だ

大分別府マラソンが中継されていて、

さむいなかおじちゃんたちが

一生懸命はしってる

温泉が有名な大分別府、

海岸線にとっても近いところに、

雪のうっすら積もった山々がせり出していて、

温泉につかりながら

こんな景色を眺めたら

きっと気分もよかばい。

 

さて、きょうは読書の感想。

最近にんとんくんが読んだのは、

遠藤周作の『海と毒薬』

 

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

 

 

戦時中のアメリカ兵捕虜に対する

人体実験の話。

九州のF市にある大学病院でおこった

実話をモデルにしてるらしいよ。

軍からの依頼があり、医学部教授が

自分の出世のために引き受けたのが発端。

その実験に、若い研修生の二人が

関わるんだけど、その二人が戸田と勝呂。

 

戦時中、しかも太平洋戦争末期

の舞台設定なんだけど、

人がぽこぽこ死んでいく

そんな時代背景があり、

全体を通してとっても暗くて、

陰気な雰囲気が最初から

最後までずーっと続く小説。

 

にんとんくんは、この時代に

生きていた人は、

そんなに暗いことばかり

考えてたのかな?とか

世界の全てが灰色にみえるような

雰囲気が優勢だったのかなぁとか

ちょっと疑問におもったんだよね。

だって、日常にはさ、

ぷっと吹き出すような

おかしな場面もあるし、

ぼんやりと、のんびりと

くつろぐ瞬間だってあるはず。

そういうものがことごとく

小説の世界からは排除されていて、

それがなんか、

かえって現実味がないっていうかさ、

実話をモデルしていながらも、

作家によって都合良く

「ととのえられた」世界を

読者が押しつけられている

気がしたんよ。

 

でもね、若い研修医である戸田が、

自分の事を「不気味」であるとした

手記の内容はとってもおもしろい。

小さい頃から親や教師に期待された役割を、

常にそつなく演じてきた戸田っち。

彼は、自分が他人を深く傷つけること

について、「まずいこと」とか

「ばっせられること」であると

理解できるんだけど、

決して「苦しむこと」ができない人なの。

だから、それが他人と違う自分の

「不気味」なところで

人体実験に荷担することで、

「自分は苦しむことができるのか」

を知りたいと思うの。

でもね、「苦しむことができない」

ことについては、

苦しむことはできず、

つまり葛藤できなくて、

「不気味」だと感じるだけ。

いわゆるサイコパス

と呼ばれる人なんだよね。

感情や情緒は意識からsplitされていて、

それって、戸田が子どものころに

親や教師から期待され無視されたもの

だったのかなと思った。

ていうのは、幼き戸田少年の

「うれしい」とか

「かなしい」といった

感情や情緒に、

焦点をあててもらえなかった経験が

そのまま彼の感情や情緒のsplitに

つながっているんだということ。

 

子どもが成長していくときに、

周りの大人が、あれが出来た、

これが出来た

という結果だけに着目していると、

子どもの情緒って豊かにならないのかな?

あれが出来たとき、

この子の気持ちはどうだったか、

これが出来なかったときの気持ちって、

悔しかったのかなとか

そういうことに思いを巡らす事って、

ことのほか大切なのかも

とおもう今日このごろ。

 

大分別府マラソン。

日本人のマラソンのおじちゃんが2位でゴールしたよ。

このおじちゃん、2位でゴールしたときは悔しかったのかな?

それとも、こんなもんだろとおもってるのかな?

いろいろ考えてみるけど、答えはようわからん。

 

にんにん